日穏-bion-の主宰者、岩瀬晶子が日々思うことなど綴ってます。
先日、埼玉県川口市にあるSKIPシティという所で、「映画のちから ~日本映画 その歴史と魅力を語る~」というイベントの司会をしました。

第一部は、埼玉県草加市出身の俳優、大川平八郎についてのドキュメンタリー映像の上映会。

第二部では、大川平八郎を研究されている獨協大学教授・柴田平三郎さんと、俳優・監督の津川雅彦さんをゲストにお迎えしてのトークショーがありました。

先ずは、大川平八郎という人。

私世代では名前を聞いてもピンとこない人がほとんどだと思いますが、とても興味深い人なのです。

1905年に草加市の名家に生まれた平八郎は、実業家を目指して、1923年に18歳で単身渡米。(関東大震災があった年ですよ!)

まずはフロリダでアルバイトをしながら大学で学び、転々とした後、ニューヨークに行って、俳優学校に入ります。

ここではなんと、ゲーリー・クーパーと共に学んだそうです。

それからハリウッドに渡って、スタントマンやちょい役で映画に出演していましたが、家族の訃報に際し、帰国。

それから東宝の前身であるPCLに所属し、日本での活動を始めます。

特に成瀬巳喜男監督作品には、「乙女ごころ三人姉妹」や「浮き雲」をはじめ、多数出演したそうです。

間もなく太平洋戦争が始まり、平八郎も1943年に軍属としてフィリピンに召集され、国策映画にも出演。

青春時代を過ごした第二の故郷でもあるアメリカと戦わなくてはならないジレンマは、相当なものだったのではないでしょうか。

戦後も東宝で活動を続けた平八郎。

1957年にデビッド・リーン監督の「戦場にかける橋」で、早川雪州らと共演。

兼松大尉役を熱演する傍ら、助監督としても尽力しています。

今でこそ、海外で活躍する俳優はたくさんいるし、留学も気軽にできます。

メールもあれば、ブログもfacebookもある。スカイプを使えばただで海外とテレビ電話ができる。

私がアメリカにいた頃と比べても、海外が本当に身近になりました。

でも、平八郎が渡米したのは大正時代ですよ!

全く状況が違っていたでしょう。

凄い勇気だなぁ・・・。

もっと彼の事が知りたくなりました。

ま、そんな彼の記録映画を見た後、津川さんと柴田先生とのトークショー。

満員のお客様は、お二人の面白いトークをとても楽しんでらっしゃいました。

柴田先生は法律が専門なのですが、日本映画がお好きとの事でとても詳しく、興味深いお話をしてくださいました。

私ももっと昔の日本映画を見て勉強しなければ・・・。

津川さんは、独特のオーラのある方ですね。
ご自分の過去のスキャンダルのお話なども含め、飾らないところがとても魅力的で、役者としても学ぶ事が多々ありました。

さすが、芸能一家に生まれて、5歳から役者をやってるだけありますね。

最後に、みんなで撮った写真です。


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【2012/02/07 14:11】 | 未分類
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埼玉県といえば・・・
かさぎ
 いつの間に芸名を変えたのですね。

 草加市といえば、森尾由美と大事MANブラザーズバンド(立川俊之)しか思いつかないです。

 そんな僕ですが、埼玉県といえば、僕のかつての故郷・入間市出身の俳優は・・・正直言って同級生の森脇さんしか思いつかないです。しかし、違う中学校の一学年下に伝説的な女優がいたという噂を聞きました。

 今後の観劇予定は6月に青年座の芝居を観る予定ですが、岩瀬さんの出演情報は冒頭に書いたのですが、気をつけて見ないと見落としそう・・・。

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この記事へのコメント
埼玉県といえば・・・
 いつの間に芸名を変えたのですね。

 草加市といえば、森尾由美と大事MANブラザーズバンド(立川俊之)しか思いつかないです。

 そんな僕ですが、埼玉県といえば、僕のかつての故郷・入間市出身の俳優は・・・正直言って同級生の森脇さんしか思いつかないです。しかし、違う中学校の一学年下に伝説的な女優がいたという噂を聞きました。

 今後の観劇予定は6月に青年座の芝居を観る予定ですが、岩瀬さんの出演情報は冒頭に書いたのですが、気をつけて見ないと見落としそう・・・。
2012/02/09(Thu) 22:03 | URL  | かさぎ #Kx8tsHZk[ 編集]
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