日穏-bion-の主宰者、岩瀬晶子が日々思うことなど綴ってます。
父が亡くなってから早くも2週間。

父の入院中のように母からのメールや電話にドキドキすることもなく、普通の日常に戻りました。

と言っても、もう今日は大晦日ですね!早~い!!

私は29日に今年最後の仕事を終え、昨日はなんと11年ぶりにアメリカから来日していた姉夫婦と東京散策。

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今回は娘二人をアメリカに残しての短い滞在だけど、また二年後には娘達を連れて、もう少し長く滞在する予定だとか…今からとても楽しみです。
来る前に日本語教えておいてね、お姉ちゃん!

昨日は原宿で買い物などして、明治神宮をお参りし、裏の広場をのんびりお散歩。
池のほとりにはおしどりの夫婦が寄り添っていました。

P1000363.jpg

とても静かで、自然が楽しめるこの空間、私のお気に入りスポットです。
兄のDavidも、『都会の真ん中にこんな所があるなんて不思議だね』と言ってました。

夜は義理の兄が大好きなしゃぶしゃぶへ。
前に来たときもしゃぶしゃぶ食べに行ったなぁ~。
・・・というか、私はそれ以来しゃぶしゃぶなど食べてないから、11年振りってことぉ?!
とても美味しかったです。ご馳走様~♪

P1000366.jpg

そして、姉達は今朝の便でアメリカに帰りました。

狭い我が家でのおもてなしは不便な事もあったと思いますが、久しぶりにゆっくり姉と話すことができて、良かったです。

姉達が来てくれたお陰で、大掃除も前倒しできたし、今日は実家に帰ってのんびりします。

このブログを読んでくださってる方々、どうぞ良いお年をお迎え下さい。

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【2009/12/31 11:39】 | 未分類
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No title
Tomo Edington
Thank you for everything... I don't mean only for your hospitality, but also for your observations and thoughts surrounding Dad's death. I didn't cry while in Japan, but reading your blog made me cry... Thanks for that, too.

I bookmarked your blog, so I'll be checking on you regularly! Beware!!
; )

(英語で失礼。この方が全然速いので。別に気取ってる訳でも、内緒の訳でもありません。)

Love you,
T

Thanks for your comment
あっこ
お姉ちゃん、書き込みありがとう
It was great having you guys here!
About the funeral, I wanted to write more detail and what I thought then but couldn't at that time...
I am glad you could get some feeling of it though.
Say hi to everyone and looking forward to seeing you guys very soon!
Love ya!

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昨日、無事に父の葬儀が終わり、荼毘に付しました。

自分の中では大きな出来事でも、世界はいつも通り、何も変わらず動いている事が少しばかり虚しかった・・・。

みんな知らないのだから当然の事なんだけど、舞台のお知らせや忘年会のお誘いなど、普段であれば喜んで読むメールがくる度に、『お願いだから今はやめて・・・』と心の中で叫びたくなります。

そんな中で、お悔やみのメールや弔電を頂いたり、葬儀場までわざわざ足を運んで下さった方々の暖かいお心遣いが何よりも心に沁みました。

とってもとっても嬉しかったです。

このブログにコメントしてくださった方々も含めて、本当にありがとうございました。

お葬式ってもちろん故人の為にやるのでしょうが、残された人たちを慰める場でもあるんでしょうね。

自分が経験してみて、初めてそういったことに気づきました。

私も友人の身近な人に不幸があった時、どんな言葉をかけたらいいのか悩んでいましたが、大切なのは言葉の内容ではなく、その思いやりの気持ちなんですよね。
とにかく誰かが想ってくれていると感じるだけで救われたりするものです・・・。


父が亡くなったのが水曜日の夜、その次の日にお通夜、翌日葬儀と続けざまにあったので、あたふたしている間に終わってしまい、今日になって色々思い返しています。

階段を上がって来る時、「んっんっんっ」と拍子をとるように発していた口癖。

とっても恥ずかしがり屋の父が、姉の結婚式で私とダンスを踊った時の照れくさそうな顔・・・

大晦日の夜、紅白が終わるやいなや、一緒に近くの二荒山神社まで初詣に行った事・・・。

お正月にはアメ横まで行って買って来たお刺身やお酒を得意そうに出してきて振舞ってたね・・・

・・・些細な事だけど、色んな想い出が蘇ってきます。


それから、学生時代に父が下宿していた家の娘さんが葬儀に来て下さり、またまた知られざる過去を教えてくれました。

昔から無口な所は変わらないようですが、真面目で思いやりがあって、頭が良く、いつも勉強を教えてくれる優しいお兄ちゃんのような人だったそうです。

(へぇ~)

本当に絵が上手かったらしく、父の描いた絵を何枚か貰って取っておいたんだとか・・・

(へぇ~、へぇ~)

ついでに、そのお宅が経営しているお店のロゴまで作ってあげたそうで・・・

(へぇ~、へぇ~、へぇ~)

絵を見るのが好きで、美術館に行っては分厚い本を買ってきてたのは覚えていますが、実際(右手が不自由になる前に)描いた絵なんて見たことないので、一度拝見したいものです。

もう60年も前のことをつい昨日のように話してくださるのに驚くと同時に、父はそのお宅で本当に可愛がって貰ってたんだな~と感じました。

若かりし頃の父に会ってみたいな・・・
結構いい男だったらしいですよ!

ちなみに私が子供の頃の父は、先代の貴乃花に似てました。(^^)


それにしても、お葬式って分からない事だらけですね。

伊丹十三監督の『お葬式』をもう一度見ておけば良かった・・・。

予め準備しておくような事でもないし、初めて見聞きする事が沢山あって、不思議の国のあき子って感じでした。

葬儀場のスタッフさんが色々指示してくださるのにただただ従って、ドンドン事が進んでいくだけ・・・。


まず、納棺の前に着せる死装束。『おくりびと』では納棺師が全て着せていましたが、今回は親族みんなで着せてあげました。

着物は左前に着せるというのは知っていましたが、足袋も左右逆に履かせるんですね。
なぜかしら・・・歩き難いじゃん!

それから、手甲、脚絆をつけ、胸には三途の川の渡し賃として、六文銭の入った頭陀袋をかけます。
六文銭と言っても、現代にそんなもの無いので、小銭の絵が描かれた紙が入っていました。
六文って、今で言えばいくらくらいだったんでしょうかねぇ・・・

そしてわらじを足元に、小さな傘を頭の上へ置き、左の手元に杖を添えます。

その後、みんなで布団ごと持ち上げてゆっくりと棺に納めます。

海外旅行が大好きだった父のために、以前父がアフリカで買って来た木彫りの置物も一緒に納めました。

ここでビックリしたのが、大人の男性が6人がかりでも相当重かった棺を、葬儀場のスタッフは、たった二人でひょいと持ち上げて運んでいったこと。

まるで手品のようでした。

遺体と大きなドライアイスと棺の重さを足したら、100キロ位あったと思います。
それを、細身の男性二人がまるでみかん箱を持ち上げるかのように軽々持ち上げたのには、唖然・・・

すごい、プロ根性です。

お通夜が終わり、親族にお酒とお食事を振るまい、みんなが帰った後は『寝ずの番』。
お線香の火が消えないように見張りをしなければいけません。
前日徹夜で側にいた兄は帰って、今日は私の番です。

その前の日もほとんど寝てなかったので、夜中の2時ごろが一番きつかったですね・・・

でも、棺に入れる手紙を書きながら父と色々話をできたので、とても有意義な時間でした。


夜が明けると、外には綺麗な青空が広がっていました。

今日はいよいよ葬儀。

お坊さんによるお経の後、焼香が終わり、最後のお別れをしてから、棺の中に想い出の品やお花を入れて蓋をします。

私も前夜に書いた手紙を入れて、言葉をかけました。

その後は、「釘打ちの儀」・・・親族が小石で棺のふたに釘を二度打ちつける儀式です。
小石は三途の川の石を意味していて、三途の川を無事に渡れるようにとの思いを込めて行うものなんだそうです。

そしてコートも荷物も取りに行く余裕もなく火葬場へ・・・

今年の三月にオープンしたという宇都宮の新しい火葬場は、なんとも豪華なつくり。

棺が炉に入っていく時も、まるでSF映画を見ているような感じでした。

でも・・・あの扉が閉まる瞬間は・・・辛かった・・・


火葬時間は約1時間半。終わったら拾骨をします。

お花の色素によって少し緑色になっている父の骨・・・
体力はかなり落ちていたと思いますが、しっかりした骨が残っていました。

それから二人一組となって、お箸で骨壷に遺骨を納めます。

その後会場をレストランに変えて、精進落とし・・・もともとは四十九日の忌明けに精進料理から通常の食事に戻すことを言うそうですが、現代の日本では四十九日間も精進料理だけ食べると言うのは不可能!という事で、その日のうちに早くもご馳走が食べられてしまうわけですね・・・。
うん、美味しかった。

久しぶりに会った親戚と父の思い出話などしながら、泣いたり笑ったり・・・

そんなこんなで、お通夜とお葬式は終わりました。

また1月9日に今度はホテルで社葬をするそうです。

沢山の方々に偲んでもらって、父は幸せですね。

無事、三途の川を渡ることが出来ますように・・・



【2009/12/19 23:58】 | 未分類
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そうでした
りん♪りん♪
私も 母の葬儀の次の日は、娘の中間テストでした。
ゆっくり休もうとテストをあきらめ 欠席しましたが
追試もなく 悲惨な事に…
更に 主人は会社へ 学校
夏祭りと いつもと変わらない日常がそこにありました。

私の気持ちを汲み取って下さり 色々な方が声をかけて下さるのですが
違和感がありました。
悲しみにくれてばかりは いられないのです。
今でも、母が亡くなったとは思えないのです。そんな時に
友人が それが 生きる!!生きてる!!って事なんじゃないかと…言いました

そして
私の誕生日の日に
ようやく私を産み育ててくれた母は、もういないのだと実感し改めて
悲しいと思いました。

大変お辛いでしょうが…
お母様も心配です
これからも
お母様と 色々とお話をして下さい。

私事で長いコメントになってしまいました。失礼しました。


心からお悔やみ申し上げます
藤田智
お父様、大変残念でした。
心からお悔やみ申し上げます。
お体をいたわって、どうか来年は良い年にしてください。


ありがとうございます
あっこ
りん♪りん♪さん
どうもありがとうございます。
そうですね、自分の周りには普通の日常があるという事が不思議な感覚でした。
私も葬儀の次の日には東京に戻ってきて仕事しましたが、逆にその方が私の場合、家でボーっとしているより良かったです。
皆さんのお言葉も本当に嬉しくて、改めて友人、知人、そしてりん♪りん♪さんをはじめ、このブログを読んで下さっている方々のありがたさを感じました。改めて心から感謝します。

藤田さん
お久しぶりです!コメントありがとうございます。お元気ですか?
藤田さんも、どうぞ良いお年をお迎え下さい。


No title
nojjy
大変でしたね…
心からご冥福をお祈りします。。


No title
あっこ
nojjyさま
ありがとう!元気にしてる?JRの駅でよく見かけてたよ!

ありがとう
はり
身内は、特に親は、体の一部、だもの。
きっと今はまだ、体の細胞のバランスが不思議な感じになっていることと思います。
そんな中、舞台に足を運んでくれてありがとう。
もともと細いあっこちんが半分くらいに見えました。
私の父は大病してからまだ会話も出来ない状態だけど、生きていてくれるだけで、ありがたい、と思います。
あっこちんのパパに感謝。
パパがいて、あっこちんがいて、出会えたことに感謝。
ありがとう
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

No title
あっこ
ハリハリ、ありがとう、そしてお疲れ様でした。
年末年始はじっくり親孝行して来て下さいませ。
良いお年を~!

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父が亡くなりました。

岩瀬海一郎(かいいちろう)、享年78歳。

12月16日水曜日、22時18分。

私は臨終の場にはいられませんでしたが、苦しまず静かに息を引き取ったようです。

実は私、今週は大事な仕事が三つも入っていて、重なってしまったらどうしようかと内心思っていたのですが、その仕事には全く支障をきたさずに済みました。
父が察してくれていたような気がします。

ありがとう・・・。



子供の頃の父のイメージは、無口で仕事ばかりしている人・・・。
家族で旅行に出かけたり、一緒に遊んだ記憶も、二人きりで話した記憶もほとんどありませんでした。

なので、父がどんな人なのか・・・あまりよく知らなかったというのが正直なところです。

でも、9年前に脳梗塞で倒れて右手右足と言葉が不自由になってから、徐々に父の事が分かってきたような気がします。

完全に動かない利き手の代わりに、左手で箸を使い、字を書き、見事な絵までかけるようになった父・・・

言いたい事と発せられる言葉が繋がらずに苦しんでいた当初に比べ、少しずつ言葉が伝えられるようになっていった父・・・

倒れた時すでに70歳だったことを考えると、人知れずものすごく努力していたんじゃないかと思います。



父は、もともと絵描きになりたかったと聞きました。

でも、長男である父は、祖父が始めた事業を継ぐように説得され、絵描きの夢を捨てて事業を継ぐべく、東京薬科大学と早稲田大学を昼と夜かけもちで行って卒業したんだそうです。

二つの学校かけもち???

なんとなく聞き流していた事実も、よく考えてみたら凄くないかぁ??
私には絶対できない芸当です・・・。

そんな事も、父は全く自慢することがありませんでした。

自分の事はほとんど話さない・・・人の悪口も言わない・・・
ただ、コツコツと黙々と実行して結果を出す。

それって、なかなか出来ることではありません。
少なくとも、私には出来ないな・・・

そして今日、お通夜の席で、父をずっと支えて来てくれていた会社の役員の方々とお話する機会があり、私が知らない経営者としての父の姿も知りました。

無口で、時に頑固で、でも優しくてみんなから慕われていたといいます。

祖父の意思を受け継いで、更に会社を大きく発展させた父。

・・・なんだかちょっぴり会社がうらやましくなりました。

そして今更ながら、もっと色々聞いておけばよかった、もっといっぱい話しておけばよかった・・・と残念な気持ちが湧いてくる・・・。


でも、父は言葉を使わずに色んなメッセージを伝えてくれていました。

日本の大学ではなく、アメリカに行きたいと言い張った私のワガママを聞いてくれた父。

私が出ていたテレビ番組を楽しみに見てくれていたという父。

・・・一言もそんな事言わなかったけど、きっと不器用な父の愛情表現だったんでしょうね。


今、夜中の3時半です。

しーんと静まり返った葬儀場の和室で、私は父と二人きりの内緒の会話を楽しんでいます。

そして、私が最後に父に伝えたい言葉は・・・ありがとう。


どうか安らかに眠ってください。

【2009/12/18 03:33】 | 未分類
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No title
かまじぃ
お悔やみ申し上げます。
今年夏に他界した父と同じ年齢です。なかなか2人で話す機会ってないものですね。
ただただ、安らかに眠って欲しいと願うばかりで。

ご冥福をお祈り申し上げます。
ミナコ
努力を惜しまないお父様。
あっこさんは、お父様の遺伝子をしっかりと受け継いだんですね。きっと・・・。

ご冥福をお祈りいたします
りん♪りん♪
もっと 色々話せば良かった

子どもの頃も大人になっても
って 後悔を 私もしました
岩瀬さんの 思いは お父様に届いているはずです

これからは いつでも 空から見守って下さいます

更に しっかり 自分の生きる道 歩まねば…と思う私

岩瀬さんも 頑張って下さい

No title
あっこ
皆さん、暖かいお言葉、どうもありがとうございます。

頑張ります!

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父が集中治療室に入ってから一ヶ月経ちました。

ちょっとだけ意識が戻ってきたみたいで、手を触って声をかけるとかすかに目を動かして反応します。
不思議なもので、元々無口な人だったせいか、言葉が無い方が意志の疎通ができるような気がしますね。

そんな時、担当してくださってるお医者さんに、延命治療の選択についてお話を伺いました。

延命治療・・・父の場合は年齢も年齢ですから無理に生かしてあげる事が本人の為とは思えませんし、私達家族も父が9年前に倒れてからある程度の覚悟はできていましたが、状況が違う場合は難しい問題だと思います・・・

突然の事故で脳死状態になってしまう事もあるんですものね・・・
残された家族や友達の心境を考えると、答えが一つではないことはよく分かります。

そんな事を話し合っているうちに、フッと私が学生時代に書いた文章を思い出し、久しぶりに引っ張り出しました。

その名も「遺書」。

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「戦前の手紙かよっ!」と突っ込みたくなるほど茶色に変色してしまった封筒の中に、一枚の紙が入っています。

書き出しはこうです。

「先ず始めに、この遺書を読んでいる皆さん、これはあくまでも私が事故などによって突然死んでしまった時のために書いているものです。自殺しようなどという気は全く無いので、どうか誤解しないで下さい。」

・・・そもそも、そういう文章の事を「遺書」と呼ぶのかどうかは疑問ですが(どちらかというと「遺言書」ですかね)、とにかく20代前半に書いた文章、今読んでもその意志は変わっていない事に気づきました。

でも、いざと言う時、この手紙の存在を誰も知らなかったら意味ないじゃん!

と思い、大切な事はここに書いておくことにします。

〇もし、体のどんな部分でも移植などに使えそうな状態だったら、是非なんでも差し上げて下さい。私の手帳の中に臓器提供意志表示カードが入っています。

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〇貯金は全てユニセフや環境保護団体に寄付してください。

〇もし植物人間になって、ただ生命を維持するだけしか手の施しようが無かったら、迷わず装置を切り、その分の医療費をもっと世の中のために使って下さい。

・・・この後にメッセージなどが書かれています。それは恥ずかしいので、ここには書かないでおきましょう。(^^;)

臓器提供などは本人が望んでも、家族の立場に立つと決断が難しいと言われています。

でも、そもそも命って誰のためにあるのでしょうか・・・

人は必ず死ぬのです。生まれてきたら死ぬ・・・もうこれは誰もに共通する事実。
毎日食べて、排泄して、寝るのと同じくらい、ごく自然な事。

なのに、現代の先進国では「死」を悪者にしすぎてるような気がしてなりません。
「生は善」で「死は悪」とくっきり分けて、善き人は死という悪に負けることなく、なんとしても生きなければいけない!また、周りの人は生かさなければならない!と脅迫にも近い感覚を持っているのではないかしら・・・

私はカボーキアン博士が行っていた安楽死に賛同しています。

私達には、死ぬ権利もあるんです。

そんな風にいうと、「自殺を幇助している」と言われてしまうかもしれませんが、そういう訳ではありません。
ただ、人は必ず死ぬのであって、その事実を拒絶せず、素直に受け止めるべきだということでしょうか。

そして、「死」を意識するからこそ「今を生きる」力が出てくるのではないかしら。

ネイティブアメリカンの人々は、自分の死期が近づいていると感じたら「今日は死ぬのに良い日だ」と言い、死ぬ準備をするそうですね。
カボーキアン博士の患者もみんなその日が来ているのに、生かされてしまっている事に矛盾を感じたから、安楽死を望んだのだと思います。

これって犯罪ですか???

誤解の無いように言っておきますが、医療に頼る事がいけないとか、自殺しても良いとかそんな事を言っているのではありません。

医療は大切です。医療の発達によって、より良い生活を送れるのなら、大いに活用すべきです!

ただ、何事にも限度があり限界があります。
そして体の機能を動かしておく事が、生きるという事なのか…残された者の気持ちや都合や建前ではなく、本人の気持ちを考える必要があるのではないでしょうか。

勿論これは、あくまでも私の考えであり、他の人に同じ考えを押し付けようとは思いません。

ただ、私の家族や友人には分かっておいてもらいたい。

…そんな事を思いながら、この遺書もちょっと書き換えておこうと思います。

【2009/12/10 12:13】 | 未分類
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大事です
りん♪りん♪
遺書 伝えておきたい 自分の思いを 残しておくのは
大事だなぁって思いました
私も母が突然倒れてICUにいたときに
意識がなく でも きっとどこかで感じてる 痛みや思いが分からない…のが 辛くて辛くて

日に日に 頑張ってって言えなくなりました

母と同居してた 姉は毎日病院へ通い 気丈にふるまっていました

人工呼吸器をつける話しもありましたが 私には 何も言えませんでした。

母がどうしたいのか

わからなかったからです

でも 姉は人工呼吸器をつけてでも ずっと意識がなくても 生きていて欲しいと 看護士に話していました。

実際つける事により 母の呼吸を助ける 母が楽になるんだと 言うことが分かると…私の気持ちも落ち着いてきたのを思いだしました

ちょうど この頃国会で
この事が議論されていました。

私は どちらの気持ちも痛いほどよく分かりました。
それだけに 選ぶなんて出来なかったのです。改めて
遺書…は とても大事だなぁと思います。

岩瀬さんもお体ご自愛下さい

お父様の ご回復をお祈りいたします


ありがとう
あっこ
りん♪りん♪さん
メッセージありがとうございます。
ホント、色々な見方がありますよね。
本人が何を望んでいるのか知る術がないと悩みます。でも、お母様は娘さん達に愛されて幸せだったでしょうね。
私は親孝行らしい事はほとんどしてきてないので、せめて父が苦しむことがないように祈りろうと思います。

book
Tomo Edington
この間この件に関する本を読んだよ。"Final Exam" by Dr. Pauline Chen. 中国系アメリカ人の神経外科医で、彼女の細やかな視線で医者の側と患者の側とをよく描いてあります。おすすめ。

No title
あっこ
お姉へ
へ~、読んでみるわ。まずは、この間もらった本からね!

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先日このブログで書いたUPS養成所の舞台を見に行きました。

A班とB班の2チームあって、キャストが違うので、A班は水曜日に、そしてB班を日曜日に見ました。

自分で言うのもなんですが、なかなか良かったです。フフフ

ラストシーンには不覚にも涙してしまいましたよ。

役者の演技はまだまだ荒削りですが、みんな一生懸命頑張っていたし、この話を愛情を持って演じようという姿勢が見えてきて、ジーンと心に沁みてきました。

演出の力も大きかったですね。

丹治さんは、私の脚本を最大限生かしながら、より良くして下さるので、いつも本番を見るのが楽しみなのです。ちょっと付け足してくれた一言が、グッとシーンに深みを持たせてたり…。

脚本も皆さんに褒めていただいて、ちょっと得意顔になりました。

「ハツカネズミと人間」という題材は、元々小説で戯曲ではないのですが、昔から舞台で上演されてきて、映画にもなっています。なので、芝居好きの人は一度は目にした事があったり、演じた事がある作品で、それだけに思い入れの強い人が多いのです。

今回、全部やったら2時間位ある作品を1時間に短縮して、しかも設定も変えてしまったので、その人たちの反応が心配だったのですが、「この原作が好き」と言う人たちが一様に褒めて下さり、「この脚本で芝居したい」と言ってくださったのは何より嬉しかったです。

私は、コンプレックスが多くて、いつも「自分はダメダメだぁ~」と思ってしまうところがあるのですが、脚本書くときにはこのコンプレックスこそが最大の武器になる事に気づきました。
役者やると自分が嫌いになってくるのですが、脚本書くと自分が愛しくなってきます。
それでバランス取ってるのかな。

【2009/12/07 01:00】 | 未分類
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昨日は実家のある宇都宮に帰っていました。

父が一ヶ月前から入院している事もあり、最近は頻繁に帰省しています。

ところで、宇都宮と聞いて、何を思い出しますか?

・・・そう、恐らく「餃子」ですよね。

かれこれ20年ほど前、消費量が日本一という事で、「餃子で町おこししよう!」と考えた宇都宮。

それまでは、栃木県と言えば「かんぴょう」でした。

あ、イチゴも収穫量日本一ですが、なんと言っても「かんぴょう」。

IMG_0822_convert_20091205230802.jpg

これこれ、このお面!・・・「ふくべ」と言います。
かんぴょう(夕顔の果実)の外皮(ふくべ)を乾燥させ、種子を取り除き、加工したもので、栃木県の伝統工芸品です。
写真中央のふくべはお茶目な顔してますが、元々魔除けとして作られていたものだそうで、恐い顔のものが多いのです。

駅から家に帰る途中、いくつかのお店でこのお面がお出迎えしているので、子供の頃は恐くてなるべく見ないように、早足で前を通りました。
そして、心の中で思ったものです・・・「これ、お土産に貰っても困るよなぁ・・・」

それに「かんぴょう」って・・・マイナーすぎるだろう!

おでんの昆布を結ぶひも役・・・

おもちや野菜が入った油揚げの巾着を結ぶひも役・・・

重要な役目はあるけれど、なかなか主役にはなれないかんぴょう君。

かんぴょう巻きではかろうじて主役だけど、マグロや鯛など、他のお寿司と比べられたらかなり地味~な役どころ・・・

そもそも、かんぴょうを食べにわざわざ栃木に来る人はいないっ!!

って訳で、餃子が浮上しました。

そして、そのPRに一役買ってくれたのが、当時絶大な人気を誇っていた山田邦子。
彼女が「おまかせ 山田商会」というテレビ番組で餃子の像を作って、宇都宮駅に設置したのです。

その像は、ビーナスが餃子の皮に包まれてるイメージのデザインだそうです。
ちょうど、ボッティチェリの描いた有名な「ビーナスの誕生」みたいな感じでしょうか…。

botticelli_venere01.jpg

では、こちらが、その「餃子像」です。

P1000338.jpg

ビ、ビーナスぅ??
う~む…
なんで餃子の皮にビーナスが包まれてるのよ!
どこから来てしまったの?この発想は!?
…と突っ込みどころ満載の餃子の像。

昨年、観光客があまり使わない宇都宮駅東口から西口にお引っ越しする際、本体が壊れてしまった様子は全国ネットのニュースでも取り上げてましたね…。
こんな無残な姿に・・・

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無事に修復されて、晴れて西口デビューを果たしたビーナス。
でも、かえって分かりにくい場所になっていて、探すのに苦労しました。
しかも、隣にはとでかいカエルの像が…

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ムムム…何故だ!
ビーナスの番犬ならぬ、番蛙??

こちらは、駅前の餃子屋さんの前に立ってた餃子君。

P1000342.jpg


これを「餃子像」だと思う人も多々いる事でしょう。マスコットっぽいもんね。

ま、何はともあれ、皆さんの努力のおかげで「宇都宮=餃子の町」というイメージ、少なくとも関東地方では根付いたのではないかしら。

皆さん、是非、東北方面にお越しの際は、宇都宮で途中下車して、餃子食べてって下さいませ。
どこが美味しいかは知りませんが…(^_^;)

よし、U字工事の次の栃木県観光大使は私だ!

【2009/12/05 23:50】 | 未分類
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